障害者の隠れた才能
~アクセス・ブログ内の記事より
強迫性障害(OCD)、注意欠陥障害(ADD)、多動性障害(ADHD)、ディスレクシア(Dyslexia = 失読症、難読症、識字障害、(特異的)読字障害、読み書き障害),自閉症は、社会では障害として扱われていますが、アクセス・コンシャスネス ではこれらを才能、能力としてみています。
みなさんにも、このことをよく考慮していただきたいのです。
もし、本当は彼らにはどこにも悪いところなどないとしたら?
アクセスでは彼らを絶対に障害者とは呼びません。
それどころか、彼らをより多くの才能を持っている人たちと呼び、一般のわたしたちの方が障害者であるといっています。
彼らを”X-メン”と呼んでいます。映画と同様、彼らには、わたしたちの想像をはるかに超えた才能と能力が秘められています。
このような人たちは子供も大人も、一般に考えられているよりはるかに高い意識を持っています。
彼らは普通とは異なり、機能の仕方も異なっています。
彼らの自然なコミュニケーションの仕方に変えなければいけないのはわたしたちの方です。
アクセスはみんなにそのためのツールとアウェアネスを提供しています。
「この子供たちは贈りものだよ。才能・能力が高く、わたしもみんなも知ってるように、違う。わたしは、彼らは基準を超えるのが普通の子供たちより1年、2年、いやもっと早い子もいるのを見てきた。彼らにはどれだけの可能性があるだろう?」~アクセス・コンシャスネス創始者 ギャリー・ダグラス
わたしは、言語聴覚の病理学者であり現地支援技術スペシャリストとして15年間、公立学校システムで働いてきました。
すべての年齢層のレッテルを貼られた人々と定期的に接してくる事ができたのは、なんと実りの多いことでしょう。
わたしはそのレッテルや医師の診断をまともに信じずにやってきましたが、それは結果的によかったと思います。
そうでなければ、目の前で起こっている不思議なことを見逃していたに違いありません。
わたしがずっと続けていたことが一つあります。それは問いかけることです。
自閉症・ディスレクシアでいることで素晴しいことは?
そしてわたしたちに無いものは?
わたしたちが強迫性障害(OCD)、注意欠陥障害(ADD)、多動性障害(ADHD)について誤解していることは?
もし、それらが本当はすぐれた才能・能力だったら?
障害者というレッテルを取り外したら、この子たちは自分に対しての見方を変えることができる?
もし、この子たちのレッテルが、情報を得る方法が単に違うからだとしたら?
彼らの情報の受けとり方というのは球状になっているのです。
何か情報にアクセスし、出す、その方法が一直線ではないということです。
このことは、最もはっきりさせなげればいけない違いの一つです。
そしてこのことは悪いことでもなく、病気でもなく、障害などではないのです!
注意欠陥障害(ADD)、多動性障害(ADHD)、自閉症スペクトラムの子供たちは、一直線のラインに沿ったことはしません。
まったくあたらしい方法を創りだすのです。
飛び跳ねたり、転げまわったり、AからBへ、 PからCへ上がったり下がったり、 Zから戻ったりと行ったり来たりできるのです。
その創り方と動き方には、計り知れない、踊りだしそうな喜びが伴っています。
彼らの情報へのアクセスの仕方、球状というのは海のように大きなものなのです。
集中しなさいと注意されることによって、”正しい”答えをだすことは、彼らにとっては、自分を小さい箱の中に入れなければいけないことになります。
彼らの可能性を広い海の底に沈めてしまうようなものです!
この狭い限られた世界から、たった一つの答えを出すことは簡単なことでしょう?
彼らにも、いごごちのいい環境にしてあげることができませんか?
このような接し方は、彼らのアウェアネスと彼らの現実を創造するということを殺してしまうようなものです。
そして、彼らが知っているはずの情報へたどり着けなくしてしまうのです。
わたしは、素晴しい存在である彼らの現実と、学校や家庭での現実とで、うまくやっていけるよう橋渡しすることを専門としてきました。
彼らの家族、介護人、そして学校の先生が彼らの現実を理解でき、つき合っていけるよう通訳し、お手伝いしてきました。
アクセス・コンシャスネスのツール、バーバル・プロセス、バディ・ワーク を使い、レッテルを貼られた人々と、彼らにふれあう人々の場を手助けしてきました。
そして彼らの爆発は少なくなり、コミュニケーションも深まり、みんなの毎日がとても過ごしやすくなっていったのです。
わたしは、みなさんに少し別のところから見るということをお勧めします。
わたしたちと一緒にもっと可能性を探して遊んでみませんか?
わたしたちが一緒に何かを生みだせたら?
わたしたちに運んできてくれるものは?
このような子供たちがわたしたちに何をもたらしてくれる?
感謝します!