どうして?(why)という言葉

どうして
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どうして?(why)という言葉

マジック不思議な力

質問するということは、アクセスのツールの中でも最もはっきりと結果が得られるものの一つです。
アクセスの十戒(10 commandments)の一つでもあります。
それでも、”どうして?”という質問はお奨めされていません。
それは何故でしょう?

この”どうして?” という質問は、4歳児との会話にたとえることができます。
“どうして空は青いの?” “どうして草は緑なの?”
“どうして?” “どうして?” “どうして?”
こういった質問があなたをどこかに導いてくれますか?
それとも、ずっとグルグル同じところを回って、最終的に元いたところに戻るだけではないですか?

どうして(why)という言葉を使うとき、わたしたちはすぐに答えを必要とします。
それは質問によってわたしたちが変わる前のものです。

これは本当なのでしょうか?
アクセス・コンシャスネスの十戒では、わたしたちが何か選択するとその効力は10秒間。
そんなにすぐに変われるものでしょうか?そんなことが重要なのでしょうか?

“どうして?” という質問は、他の人がどうしてその選択をしたのかを理解しようとします。
これはまったく無意味なものです。

“人々がそれを選ぶのは、彼らがそれができるから。ただそれだけのこと。” とギャリー・ダグラスは言います。
それを選んだ理由を人々が語ろうとするときは、大抵はばかげた選択をしたときにその言い訳を述べようとします。
でもそれは、ほとんど嘘で、それをできるから選んでいるのです。

そんなばかげた選択をした理由を知ろうとすると、そこに嵌って抜け出せなくなります。
誰かを理解しようとすることは、その人のユニバースに入り込み、まったく同じように真似することになります。
そうすると、その人のばかげた選択をもすべて真似をすることになります。

こんなことをしたいと思いますか?

“どうして?” という質問をやめて、他人のばかげた世界を自分に持ってくるよりも、自分の世界を自ら創りだしていくべきです。
そうすることで、ある方向に向かい始めます。
わたしたちは何にでも結果と原因を探るよう教えられてきました。
しかし、人生で何か起ることはもっと無規則なもので、予想もつかないものばかりではありませんか?

“どうして?”  という質問が無駄なものだと思えてきませんか?