アッ=サッフ (アラビア語: الصف、aṣ-Ṣaff、意味「階級」) は、コーランの 61 章であり、14 節から構成されている。マディーナ啓示。本章は、イスラームのために戦う信仰者たちの様子を説き明かす第4節において用いられている「サッフ」という語からその名がつけられている。
الصف【アラビア語】
戦列 アッ=サッフ 朗読音声
戦列 アッ=サッフ【日本語訳】
慈悲あまねく、慈悲深いアッラーの御名において。
1 諸天にあるもの、大地にあるもの、すべてがアッラーを讃美する。威力ある御方。賢明な御方。 2 信じる者たちよ。あなたがたは、どうして自分が行わないことを口にするのか。 3 あなたがたが行わないことを口にするのは、アッラーの御許においてもっとも憎まれること。 4 本当にアッラーが愛するのは、かたく組まれた建物のように (一体となって) 列をなし、この御方の道のために戦う者たち。 5 ムーサーが、その民にこう言ったときのこと (を思いなさい)。「私の民よ。私がアッラーからあなたがたに遣わされた使徒であるのを知っておきながら、どうして私を苦しめるのか」。彼らが (正しい道から) 逸れたのは、アッラーが彼らの心を逸らさせたため。アッラーは背く民を導かない。 6 またマルヤムの子イーサーが、こう言ったときのこと (を思いなさい)。「イスラエルの民よ。私はアッラーからあなたがたに遣わされた使徒。私の前に啓示された (ムーサーの) 律法を確認し、また私の後に遣わされる、アフマドという名の使徒についての良い報せを伝える者」。しかし彼 (アフマド) が明白な証をもって来ると、彼らは言った。「これは、明らかに魔術に過ぎない」 。 7 (アッラーへの) 服従に呼び招かれていながら、アッラーについて嘘いつわりをねつ造するよりも不正な者があるだろうか。アッラーは不正をなす民を導かない。 8 彼らは自分たちの口先で、アッラーの光を消そうとする。しかしアッラーはその光をまっとうする、たとえ (真理を) 拒む者が嫌おうとも。 9 導きと真理の宗教とをもってその使徒を遣わし、すべての宗教の上に優勢とする御方、たとえ多神を奉ずる者が嫌おうとも。 10 信じる者たちよ。われはあなたがたを痛烈な懲罰から救うための、ひとつの取引を示そう。 11 それはあなたがたがアッラーとその使徒を信じ、自分の財も自分自身もアッラーの道に投じて励むこと。その方があなたがたのために良い。もしあなたがたが知ってさえいたなら。 12 かの御方はあなたがたの諸々の罪について、あなたがたを赦し、川がその下を流れる楽園へとあなたがたを連れていくだろう。そして永遠の園にある、すばらしい館にあなたがたを住まわせるだろう。大いなるる成就とは、まさしくこのこと。 13 また、あなたがたが愛するだろうもうひとつのものも。それはアッラーの助けと間近の勝利。信仰者たちに、この良い報せを伝えなさい。 14 信じる者たちよ。あなたがたはアッラーの援助者となりなさい。マルヤムの子イーサーが「アッラーのために私の援助者となるのは誰か」と弟子たちに言い、弟子たちが「私たちがアッラーの援助者となります」と言ったように。こうしてイスラエルの民のうち、ある者たちは信じ、またある者たちは信じなかった。そこでわれらは敵に対して信じる者たちを助けた。それゆえ、彼らは優勢となった。
戦列 アッ=サッフの解説と解釈
☪︎ どうして自分が行わないことを口にするのか
ムスリムの何人かが、神に最も喜ばれる行いとは何か、それさえ知れればそれをしていただろうに、と述べた。これに対して、神が愛するのは、神の道のために奮闘努力する者であるということを告げる節が下された。ウフドの戦いの際に、離反したムスリムが複数いたという事実が、この啓示の一因となっている。
☪︎ かたく組まれた建物のように列をなし
この宇宙においては、どこにも矛盾はない、人間の行いを除いて。この世では、木は常に木であり、鉄や石のように見えるものは、実際に鉄や石に変わりはない。人間もこのようにあるべきだ。たとえあらゆる困難に直面し、並外れた忍耐強さを要求されたとしても、人間の言動には一貫性がなければならない。
☪︎ ムーサーが、その民にこう言ったときのこと
モーセ (ムーサー) は、当時衰退しつつあったイスラエルの民の中にやって来た。彼らは、自分たちの言葉と行動を照らし合わせることを望んでいなかった。彼らの卑屈さは、ある時はモーセの前で信仰を口にする一方で、別の時にはあらゆる背信行為を行い、神に背くようなものであった。また、モーセにひどい仕打ちをしたことを正当化するために、モーセに対して濡れ衣を着せたりもした。その詳細は、聖書の出エジプト記第2章に記されている。人は誓いを立てた後、それを破ることによって、前よりもさらに真理から遠ざかっていく。
☪︎ これは、明らかに魔術に過ぎない
モーセの起こした奇跡は、モーセが神の預言者であることを知らしめるものとなった。しかし、エジプト人はそれを魔術と呼び、無視した。同様に、古代の聖典には預言者ムハンマドについてのはっきりとした予告文があった。しかし、預言者ムハンマドが実際に現れたとき、ユダヤ教徒もキリスト教徒も彼を拒んだ。人間は、明白な現実さえ受け入れることができないほど罪深い存在なのだ。
☪︎ すべての宗教の上に優勢とする
この節の「すべての宗教の上に優勢とする」とは、精神的な優位性という意味で、 非一神教的な信仰はすべて打ち砕かれ、一神教的な信仰が優位に立つということ。これは、ヒジュラ3年という最も困難な状況下でクルアーンに記された啓示である。後にそれは真実であることが明らかになった。
☪︎ ひとつの取引を示そう
商取引では、人はまず投資し、それから投資に対する見返りを受け取る。信仰のための闘いにおいても、人は自分の力と財産を投資しなければならない。この観点からすれば、これも一種の取引である。しかし、現物での取引で利益を得るのに対して、宗教的な取引では、来世においてのみ、上乗せされた利益を得ることができる。
☪︎ アッラーの助けと間近の勝利
「間近の勝利」とは、イスラームへのマッカ開放と、ムスリムによってもたらされた強大な帝国 (東ローマ帝国、サーサーン王朝) の敗北を指す。
COLUMN (as-Saff)【英語訳】
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