アッ・サーッファート(アラビア語: الصافات, ‘aṣ-ṣāffāt, 意味: 序列に並んだ者たち)は、クルアーン第37章(スーラ)であり、182節から成る。啓示の時期や背景については、メディナよりもメッカで啓示されたと考えられている。
本章の章名は、第1節に現れる語に由来している。164節から166節で明らかになる通り、冒頭の3節は天使についてであり、啓示を運ぶ天使が、一対一で人間にじかに語りかける様子が示されている。伝承によれば東方全域の占い師や占星術師が、預言者の到来の際には空に彗星や多くの流星を目撃し、困惑におちいった。彼らの術では、空が何を表しているのかがまったく読み解けなかったため、通常であれば、夜には高い山頂で星を見て過ごす彼らが、怯えて出かけてゆくのを拒んだほどであった。そして占いを求めて集まる人々に、彼らにはもはやこれ以上の占いはできないこと、彼ら自身もまた完全に答えを失い、恐れていることを告げたという。本章は、マッカ時代中期の啓示の中でも最初のものにあたる。
الصافات【アラビア語】
整列者 アッ=サーッファート朗読音声
整列者 アッ=サーッファート【日本語訳】
慈悲あまねく、慈悲深いアッラーの御名において。
1 列をなして並ぶ者たちにかけて、 2 追い払う者たちの追い払いにかけて、 3 戒めを読み聞かせる者たちにかけて、 4 あなたがたの神は、本当に唯一である。 5 諸天と大地と、そのあいだにあるものすべての主。日の昇るところすべての主。 6 本当に、われらは諸々の惑星でもっとも低い天を飾り、 7 すべての反逆の悪魔に対する守護とした。 8 彼らは至高の会議を盗み聞きできず、四方八方から撃たれ、 9 追い散らされる。彼らには、延々と続く懲罰があるだろう。 10 (言葉の断片を) 盗み聞きをする者は別で、彼らは鋭く燃えるもの (流星) に追われる。 11 (ムハンマドよ、) 彼らに尋ねてみなさい。彼らの方が強く創造されているのか、それともわれらが創造したものの方か。本当にわれらは、彼ら (人間) を粘る泥から創造した。 12 いいや、あなたは感嘆するが、彼らは嘲笑する。 13 戒められたときも、彼らは憶えておこうとしない。 14 御しるしを目にしたときも、彼らはただ冷笑するだけ。 15 彼らは言う。「これは、明らかに魔術に他ならない。 16 私たちが死んで塵と骨になっても、よみがえらされるというのか。 17 私たちの大昔の祖先も (同様に) か」。 18 (ムハンマドよ、) 言いなさい。「然り。あなたがたは、その身を落とすことになるだろう」。 19 それはただ咆哮の一声。そのとき彼らは (ようやく) 見てとり、 20 「なんということだ。これが裁きの日か」と言う。 21 これは、あなたがたが嘘であるとしていた決着の日。 22 「集めなさい、不正をなした者たちとその配偶者を、また彼らが仕えていたものを、 23 アッラーをさし置いて。それから彼らを、業火への道に導け。 24 そして立たせておけ。彼らは、問いただされねばならない。 25 『あなたがたはどうしたのか。なぜ助け合わないのか』と」。 26 いいや。この日、(ようやく) 彼らは服従する。 27 彼らは互いに近づき、尋ねあう。 28 彼ら (のある者) は言う。「あなたがたは、確かに右側から (権威ある者として) やって来たではないか」。 29 すると彼ら (の別の者) は言う。「いいや、(そもそも) あなたがたは信仰者ではなかった。 30 あなたがたに対し、私たちにはどのような権威もなかった。いいや、(そもそも) あなたがたは逸脱した民だった。 31 主の (裁きの) 御言葉が、私たちの上に真実となった。私たちは、(懲罰を) 味わうことになる。 32 私たちはあなたがたを惑わせた。しかし私たちもまた、惑う者であった」。 33 それで本当に、この日、彼らは懲罰を分かち合う。 34 われらは、罪を犯した者を必ずこのように扱う。 35 「アッラーの他にいかなる神もない」と告げられるとき、彼らはいつも高慢にふるまい、 36 そして言った。「とり憑かれた詩人のために、私たちの神々と別れるなどということがあるものか」。 37 いいや、彼は真理をもたらし、(以前の) 使徒たちを確認する者。 38 あなたがたは、きっと痛烈な懲罰を味わうだろう。 39 あなたがたは、ただ自分の行ってきたことに報われるだけ、 40 アッラーのしもべである、真摯な者を除いて。 41 これらの者のためには、それと知られるとおりの糧があり、 42 果実がある。彼らは貴ばれるだろう、 43 至福の楽園の中で。 44 豪奢な座の上で、互いに向かい合い、 45 流れる泉から汲んだ杯が、彼らの間を回る。 46 それは白く、飲む者に心地よい。 47 それには頭痛も、酩酊もない。 48 隣にはまなざしも控えめな、すばらしい瞳のお供がいる。 49 まるで (砂の下に) 隠された (繊細な) 卵のよう。 50 それから彼らは互いに近づき、尋ねあう。 51 彼らのひとりが言う。「私には、ひとりの友人がいました。 52 彼は言っていました、『本当に君は、(彼の言っていることが) 真実だというのか、 53 私たちが死んで塵と骨になっても、私たちは裁かれるというのか』と」。 54 また、こうも言う。「あなたがた、見てごらんなさい」。 55 そこで自分でも見てみると、彼が業火のただ中にいるのが見える。 56 彼は言う。「アッラーにかけて。本当に、あなたは私を滅ぼしかけた。 57 もし私の主の恩寵がなかったなら、きっと私は (懲罰に) 直面させられる者のひとりになっていた。 58 それでは、私たちが死ぬことはないのか、 59 死は一度きりなのか、罰せられることもないのか。 60 それが本当なら、大いなる成就とはまさしくこのこと。 61 労を惜しまぬ者たちは、このようなもののためにはたらくべきだろう」。 62 こうしたもてなしの方が良いか、それともザックームの木か。 63 われらはそれを、不正をなす者のための試練とした。 64 それは業火の底に生える木で、 65 それにみのる果実は、まるで悪魔の頭のよう。 66 彼らはそれを食べねばならず、それにより下腹は膨れ、 67 そののち、その上から混ぜもののされた沸騰する水を飲まされ、 68 そののち、彼らの帰りゆく先は業火にある。 69 本当に彼らは、その祖先たちがさまよえる者であると知りつつ、 70 急いでその足跡を追っていた。 71 また、確かに彼ら以前の多くの先人たちも迷っていた。 72 また、確かにわれらは彼らのあいだに警告者を遣わした。 73 それで見なさい、警告を受けていた者の結末がどのようであったかを、 74 アッラーのしもべである、真摯な者を除いて。 75 かつてヌーフはわれらに祈った。応じる者のうち、われらはもっともすぐれている。 76 われらは彼とその家族を、大いなる (洪水の) 災害から救い出し、 77 また彼らの子孫を、(地上に) 生き残る者とした。 78 われらは彼のために、(称賛されるべき者としてその名を) 後世に残しておいた。 79 「諸世界の (万民の) 中で、ヌーフに平安あれ」。 80 このようにわれらは、行いの善良な者に報いる。 81 本当に彼は、われらの信仰あるしもべのひとりであった。 82 そののちわれらは、他の者たちを溺れさせた。 83 また、彼と類を同じくする者のひとりにイブラーヒームがいた。 84 彼がまったき心をもってその主へとやって来たときのこと、 85 彼が、父と民とに言ったときのこと。「あなたがたが仕えているものは何なのですか。 86 アッラーをさし置いて、作り話の神々を欲しがるのですか。 87 諸世界の主について、どのように考えているのですか」。 88 それから、彼はひと目、星々を見やった。 89 それから、彼は言った。「本当に、私は病気だ」。 90 すると彼らは背を向けて、彼から退いていった。 91 それから、彼は彼らの神々に向かい、言った。「あなたがたは、食べないのか。 92もの言うこともしないのは、どうしたことか」。 93 それから、彼はそれらに向かい、右の手で打った。 94 すると人々が、あわてて彼の方へ迫ってきた。 95 彼は言った。「あなたがたは、自分たちで刻んだものに仕えるのですか。 96 あなたがたのことも、またあなたがたの行いも、アッラーが創造したというのに」。 97 彼は言った。「彼のために、(薪を) 積み上げ、それから彼を業火の中に投げ込め」。 98 彼らは、彼に対し企んだ。しかし、われらは彼らをもっとも低い者とした。 99 彼は言った。「私は、私の主に向かおう。かの御方は私を導くだろう。 100 主よ、私に正しい人のひとり (となる子) を授けてください」。 101 それでわれらは、寛容な男児 (の誕生) という良い報せを伝えた。 102 それから、(この息子が) 成長して彼と共にはたらくようになったとき、彼 (イブラーヒーム) は言った。「私の息子よ。私は、夢の中であなたを (犠牲として) 屠るのを見た。あなたはどう考えるか」。彼は言った。「私の父よ。あなたの命じられた通りにしてください。アッラーの御心なら、私がよく耐えることが分かるでしょう」。 103 それから二人が (命令に) 服従し、彼 (イブラーヒーム) が彼 (息子) の額を (地面に) うつ向かせたとき、 104 われらは彼 (イブラーヒーム) に呼びかけた。「イブラーヒームよ。 105 確かにあなたは、あなたの見た夢に忠実であった」。このようにわれらは、行いの善良な者に報いる。 106 本当にこれは、明らかな試練だった。 107 われらは、大いなる犠牲をもって彼をあがない、 108 われらは彼のために、(称賛されるべき者としてその名を) 後世に残しておいた。 109 「イブラーヒームに平安あれ」。 110 このようにわれらは、行いの善良な者に報いる。 111 本当に彼は、われらの信仰あるしもべのひとりであった。 112 またわれらは彼に、正しい人のひとりである預言者イスハーク (の誕生) という良い報せを伝えた。 113 われらは、彼とイスハークを祝福した。彼らの子孫の中には、行いの善良な者もあり、また自分自身に対して明らかな不正をなす者もあった。 114 また、われらは確かにムーサーとハールーンをいつくしみ、 115 彼らとその民を、大いなる災害から救い出した。 116 われらは彼らを助け、そのため彼らは勝者となった。 117 また、われらは彼ら二人に (ものごとを) 明確にする啓典を与え、 118 彼ら二人を、まっすぐな道へと導いた。 119 われらは彼ら二人のために、(称賛されるべき者としてその名を) 後世に残しておいた。 120 「ムーサーとハールーンに平安あれ」。 121 このようにわれらは、行いの善良な者に報いる。 122 本当に彼らは、いずれもわれらの信仰あるしもべのひとりであった。 123 また本当にイルヤースは、使徒たちのひとりであった。 124 彼がその民にこう言ったときのこと。「あなたがたは、畏れないのですか。 125 あなたがたはバアルに呼びかけ、もっともすぐれた創造者を捨ておくのですか、 126 あなたがたの主であり、またあなたがたの、大昔からの先祖の主でもあるアッラーを」。 127 しかし彼らは、彼 (イルヤース) を嘘であるとした。そのために、彼らは(懲罰に)直面させられるだろう、 128 アッラーのしもべである、真摯な者を除いて。 129 われらは彼のために、(称賛されるべき者としてその名を) 後世に残しておいた。 130 「イルヤースに平安あれ」。 131 このようにわれらは、行いの善良な者に報いる。 132 本当に彼は、われらの信仰あるしもべのひとりであった。 133 また本当にルートは、使徒たちのひとりであった。 134 われらは彼の一族をことごとく救った、 135 後に残される者たちの中の、ひとりの老婦を除いては。 136 そののちわれらは、他の者たちを滅ぼした。 137 そしてあなたがたは、それら (の後) の上を通り過ぎている、朝にも、 138 また夜にも。それでもあなたがたは、考えないのか。 139 また本当にユーヌスは、使徒たちのひとりであった。 140 彼が、満載の船に逃れたときのこと。 141 彼はくじを引き、負かされ、 142 大魚に飲み込まれた。彼は、責められるべきであった。 143 もし彼が、(主を) 讃美する者のひとりにならずにいたなら、 144 彼ら (人間) がよみがえらされる日まで、彼は (大魚の) 下腹の中で過ごしていただろう。 145 しかしわれらは、彼を不毛の岸に打ち上げた。彼は病気であった。 146 われらは、彼の上に瓜の木を生やさせた。 147 またわれらは、彼を十万、あるいはそれ以上 (の民) に遣わした。 148 彼らは信じるようになったので、われらは彼らに、しばしの間の楽しみをもたらした。 149 (ムハンマドよ、) 彼らに尋ねてみなさい。あなたの主には娘があり、彼らには息子があるというのか、と。 150 それとも彼らは、われらが天使たちを女に創造するところに立ち会ったとでもいうのか。 151 断じて、そうではない。彼らの言うことは作り話である。 152 「アッラーは子をもうけたもう」とは。本当に、彼らは嘘つきである。 153 「かの御方は、息子よりも娘を選びたもう」とは。 154 あなたがたはどうしたというのか。どのように判断するというのか。 155 それでもあなたがたは、想い起こそうとはしないのか。 156 それでもあなたがたには、明らかな権威があるのか。 157 あなたがたの啓典を持ってきなさい、もしあなたがたが真実を語っているというなら。 158 彼らは、かの御方とジンのあいだに関わりがあるとする。しかしジンたちは、彼らが (懲罰に) 直面させられるだろうことをよくわかっている。 159 彼らが述べていることを超越するアッラーに讃美あれ。 160 アッラーのしもべである、真摯な者を除いて。 161 あなたがたも、あなたがたの仕えるものも、 162 (誰ひとり) 誘い出して、かの御方から引き離すことはできない、 163 業火で焼かれる者を除いて。 164 (天使たちは言う。)「私たちの中には、それと知られるとおりの持ち場のない者はいない。 165 私たちは列をなして並ぶ者、 166 また本当に、私たちは讃美する者」。 167 また、彼らはいつも言っていた。 168 「もし私たちのところに、祖先からの戒めがあったなら、 169 私たちも、アッラーの真摯なしもべであっただろうに」。 170 しかし彼らは、これを嘘であるとしていた。やがて彼らも、知ることになるだろう。 171 すでにわれらの言葉は、われらのしもべである使者の先に立ち、 172 彼らは必ず助けを得るだろう。 173 本当に、われらの軍勢は必ず勝者となる。 174 (ムハンマドよ、) それゆえあなたは、しばらくのあいだ彼らに背を向け、 175 彼らを見ていなさい。やがて彼らは、目にすることになるだろう。 176 彼らは、われらの懲罰を急かし、求めるのか。 177 しかし彼らのいるところにそれが下れば、警告をされてきた者たちには悪い朝となるだろう。 178 それゆえあなたは、しばらくのあいだ彼らに背を向け、 179 彼らを見ていなさい。やがて彼らは、目にすることになるだろう。 180 あなたの主に讃美あれ、彼らが述べていることを超越する威厳の主に。 181 使徒たちの上に平安あれ。 182 アッラーに称賛あれ、諸世界の主に。
整列者 アッ=サーッファートの解説と解釈
☪︎ 日の昇るところすべての主
神は存在するものすべての主である。天と地、それからその間にあるものすべてが神に属している。神はまた「マシャーリク」すなわち「太陽の昇るあらゆるところ」の主である。それは年に二度の春分と秋分を指す。太陽が「東から昇る」と言えるのは、厳密にはこの二日間のみであり、それ以外の日は、幾分か北ないし南に傾いたところから昇る。
☪︎ 彼らは互いに近づき、尋ねあう
これは指導者とその共同体の者との対話である。審判の日、自分たちの惨めな状況を誤った指導者のせいだとし、自分たちは指導者にさまざまな方法で惑わされたと言う。指導者たちはこの主張を否定し、言い返す。「あなたたちは傲慢に満ちていた。だから、私たちが何を言っても、あなたたちは自分の本質に合っていると思い、それを受け入れたのだ。実際、あなた方は私たちの指示ではなく、自分たちの欲望に従った。よって、私たち両方が同罪なのだ」と。
審判の日には、指導者も従者も同じ扱いを受けるということだ。指導者のいわゆる名声は彼らを救わないし、従者たちの無知だった、指導者に誤った導きを受けたという言い訳も助けにはならない。
☪︎ 彼らはいつも高慢にふるまい
神のほかに崇拝に値する者はいないと言われたとき、彼らは高慢に振る舞った。これは、彼らの高慢な振る舞いが神に向けられたという意味ではない。神の威光はあまりにも高貴であり、個人がそのような高慢な振る舞いをすることは許されない。実際、彼らの高慢な振る舞いは、神の使徒に向けられたものだった。
多神教の指導者たちは、預言者が神の唯一性を信じるよう呼びかけたことで、不利な影響を受けた。しかし、預言者は指導者たちよりも地位が低いことから、ほとんどの人々は預言者を無視し、ほとんど意味のない人物と考えた。
自己中心的な傲慢さは、罪と反逆の種子である。それは、人間が自分の生き方や行動を改めるのを妨げる類いの傲慢さである。こうした人物が、先人の築いた流儀、あるいは社会や国家の名誉といったものについて語るとき、たいていの場合その思考の根底にあるのは自分自身のことや、不平不満を抱えた小さな派閥のことでしかない。唯一、真の神を人生と行動の基準とし、永遠のリアリティとして認識するということは、自己を切り捨てるということを意味する。そしてそれは、罪とは相容れない。対して自己から目を背け、責任を転嫁する先としての虚偽の神々をねつ造すれば、罪を犯すことへの障壁を低くすることができてしまえる。こうして彼らは、悪に面目を付与して正当化するようになる。そうするうちに、神の恩寵による助けがない限り、罪を手放すことがますます難しくなってゆく。
☪︎ 私には、ひとりの友人がいました
この「友人」は懐疑的な人物であり、宗教と来世を一笑に付していた。しかし今となっては、形勢が逆転してしまった。信仰に支えられた敬虔な者は善良な人生を送り、そして最終的には至福を成就した。冷笑していた「友人」は混乱の人生を送り、その果てに火獄の中で焼かれている。
来世を信じるということは、来世を単純に受け入れるということではなく、来世の存在を現実的で、とても重要なものだと考えること。来世の概念が人生全体を支配し、そのために自分のすべてを賭ける覚悟が必要なのである。来世を意識した信者を狂っていると考えていた人々は、彼らの来世での成功を見て驚嘆するだろう。一方、来世を信じる者たちは、自分たちの栄光を目の当たりにして驚き、自分の小さな善行に対して神がこれほど寛大に報いてくださるとは信じがたいと思うだろう。そのような楽園を望まず、実現するための行いをしない者は、なんと奇妙なことだろう。
楽園は美しく高貴な活動の場となる。興味深い出会いがあり、楽しい体験があり、知的好奇心を刺激する会話があり、あらゆる種類の制限や不快は終わりを告げるだろう。
☪︎ ザックームの木
「ザックームの木」とは? 地獄に生えて苦い果実をみのらせるというこの木は、いわば地獄の象徴である。楽園の庭にあり、甘い果実をみのらせる木との対照をなしている。クルアーンには、地獄にはザックームの木があり、その果実は地獄の受刑者が飢えに耐えかねた時に食べられると記されている。
この啓示がクルアーンで明らかにされたとき、古代アラビアの人々はそれをあざ笑い始めた。族長の一人は言った、『地獄の火の中で、どうして木が育つことができようか』。別の族長は言った、『ナツメヤシとバターがベルベル語でザックームと呼ばれているのに、ムハンマドはザックームの話をして私たちを脅かしている』。アブ・ジャールは何人かの人々を家に連れて行き、ナツメヤシとバターを持ってくるよう召使いに頼み、それらが運ばれてきたとき、彼は仲間に言った、『これを食べてくれ。あなた方がムハンマドに脅されているザックームだ』。
このようなクルアーンの記述は、不信心者たちがクルアーンの信頼性のなさを示すために悪用された。神は、不信心者に機会を与えるようなこのような言葉の使用を控えることもできたかもしれないが、そうはされなかった。なぜなら、これは人間が試されることを意図している状況そのものを作り出すからである。救いを得るためには、余計な問題を避けることによって、真理に全神経を注いだこと、誤解を注意深く避けることによって、真の目的を見出すことができたこと、心をそらす機会が何度もあったにもかかわらず、ひたすら真実に集中したことを証明しなければならない。
神に選ばれた少数の人たちとは、伝統的な宗教の上に立ち、真理を見出す人たちだ。外見的なもののうわべを超え、出来事の本当の意味を悟る人たちであり、神の代理人であることを認識し、神の支持者となる人たちである。
☪︎ ヌーフはわれらに祈った
ヌーフ(ノア)の物語はクルアーンの多くの場面に登場する。ここでは、人間が悪に立ち向かうとき、神は彼らを守るということ、また悪には、神の計画を覆すことはできないということが要点となっている。
ヌーフの同胞が彼に敵対したとき、彼は神に助けを求めた。神は彼が困難から逃れられるように助けてくださった。このことは、神のしもべが神に呼びかけるとき、その人は最高の応答を受けることを示している。しかし、そのような応答は、懇願する者のたゆまぬ努力の上に成り立つものである。ヌーフは約950年間、神のメッセージを広めようとし、忍耐と知恵を働かせ、民の幸せを願い続けた。そうして長い時間が経過した後、ヌーフはついに神に助けを求めた。
ヌーフの敵対者たちは大洪水で完全に滅ぼされた。ヌーフの箱舟の中でヌーフとともに救われた数人の人々によって、次の世代が誕生した。
☪︎ 彼と類を同じくする者
イブラーヒーム(アブラハム)はヌーフと同じ宗教を信仰していた。すべての預言者は、神の創造計画を人間が知り、死ぬ前の期間に自らを清める目的を与えられるように遣わされた。神は人間を創造し、正しい性質を持ったままこの世に送り出した。人は、この世の誘惑に抵抗するという試練に合格し、自己の卑しい欲望や悪魔的な汚れから解放された状態で神の御前に出なければならない。そのような魂は楽園に迎えられる。
☪︎ 作り話の神々
「作り話の神々」とは? すなわち、偽の崇拝について。偶像の数々や、星々、シンボル、いわゆる「マモン」や「セルフ」などが該当する。いずれも神の概念について誤っているか、あるいは歪曲するものである。または、一種の見せかけの信念であるとも言えるだろう。その場合、知識と実践に矛盾をきたしていることや、あるいは内的な良心の訴えを無視することで成り立っている。イブラーヒームはこの点を、自分の民に対して問いただした。
神に同類を帰依させること(シルク)は、神を軽んじることに等しい。この場合、人間は神を最も偉大な存在として認めておらず、そのために別の偉大と呼ばれる形態に迷い込み、それらを崇拝するようになるのである。
☪︎ 私の主に向かおう
イブラーヒームの共同体の人々は、おそらく何かの祭りに参加するために町から出かけていたのだろう。イブラーヒームはどうにか理由をつけて同行しなかった。彼は、人々が去った後、夜のうちに神殿に入り、そこに安置されていた神々を壊した。ここで重要なのは、イブラーヒームが論理的な説得を続けても何の成果も得られなかった後に、このような行動に出たということである。民がその偽りに気づかず、受け入れようともしなかったとき、イブラーヒームは神々を壊すことによって、それが見せかけのものであることを示したのである。もし神々が本物であったなら、壊されずに済んだはずだ。
これは人々を激怒させ、イブラーヒームを殺して火の中に投げ込もうと考えた。しかし、神はそこから彼を救われた。その後、彼は生まれ故郷のメソポタミア(現在のイラク)を離れた。その時、彼はこう祈った!『敬虔で正しい子孫を授け、彼を信者にし、教え、修め、私の後に神の唯一性を説く使命を果たし続けるムスリムにしてください』。
これはイブラーヒームの、「ヒジュラ(移住)」であった。彼は、自分の民と土地を離れた。彼にとっては、祖先からの虚偽を受け継ぐ自分の民よりも、真理の方が慕わしかったからである。彼は自分自身を神に委ね、神の導きの下に、人々のための偉大な礎を新たに築いた。
☪︎ 明らかな試練
イブラーヒームとその息子イスマーイールの両方に犠牲が求められたという点に留意が必要である。これは、父親と息子の意志と意図に課された試練だった。試練は、父親のヴィジョンを通して告げられた命令として下された。父親は息子に意見を求めた。息子はすぐさまこれに同意し、本当にそうした自己犠牲が求められたなら、約束に対し忠実であり続ける姿勢を示すべきであると応じた。最初から最後まで、ここでは出来事のすべてが象徴的である。神は、そもそも動物の肉や血を必要としない。まして生身の人間となればなおさらである。
イブラーヒームの時代には、多神教が主流であり、歴史的に長い間続いていた。このような状況に生まれた者は、周囲の雰囲気に影響され、多神教にどっぷり浸かった。アブラハムが長い布教の闘いの末にイラクを去ったとき、彼と一緒にいた信者は、妻のサラと甥のルート(ロト)の二人だけだった。
預言者イブラーヒームの最大限の努力にもかかわらず、人々は神の唯一性の概念に耳を傾けなかった。そこで全能の神は、多神教の雰囲気から遠く離れた場所で育まれるべき新しい種族を誕生させることを計画された。そのためにヒジャーズという地域が選ばれた。この地域は乾燥し、草木も生えず、荒涼とした無人地帯であった。この地域に帰依者を定住させ、純粋な民族の祖先とする計画だった。
ヒジャーズ(メッカとメディナ)は水のない砂漠であり、このような乾燥した環境に人を移住させることは、生きたまま犠牲にすることに等しかった。神はイブラーヒームに、息子イシュマエルを生け贄として捧げるよう命じられた。イブラーヒームの次男はイサクだった。イシュマエルの子孫(イサクの弟)に属する最後の預言者が現れるまで、預言者としての地位は彼の家系で続いた。預言者ムハンマドは革命をもたらし、有力な一派としての多神教を破壊した。
☪︎ イルヤースは、使徒たちのひとりであった
イルヤースとはエリヤと同一の人物であり、その物語は旧約聖書の「列王記」に記されている。エリヤはアハブ王(在位:紀元前八九六~八七四年)やその息子アハズヤ(在位:紀元前前八七四~八七二年)が、イスラエル、サマリアといった王国を統治していた時代の人物である。彼はバプテスマのヨハネ同様に荒野の預言者であり、それは人々と生活を共にし、日常のあらゆる場面を采配し、導きを与えた預言者ムハンマドとはまた別の宗教実践のあり方であったといえる。
イルヤース(エリアスまたはイリヤス)は、おそらくアロン(ハールーン)の子孫だったとされている。彼が生きた紀元前9世紀は、イスラエル(パレスチナ)がユダヤ人のアハブ王に統治され、レバノンはバアルを崇拝する多神教徒フェニキア人に統治されていた時代である。アハブはレバノン王の娘と結婚した。その王妃の影響で、ユダヤ人たちはバアルを崇拝するようになった。そこで、イルヤースはユダヤ人たちに、彼らの本来の(先祖代々の)宗教である唯一の神を礼拝するよう呼びかけた。
イルヤースの宣教を支持したユダヤ人はごく少数であった。彼らの多くは、イルヤースを殺害しようと画策するほど反対した。しかし、イルヤースはその後、ユダヤ人の間で高い地位を獲得した。今、ユダヤ人の歴史の中で、彼は偉大な預言者として扱われている。
☪︎ ルートは、使徒たちのひとりであった
ルートはアブラハムの甥である。彼はソドムとゴモラ(死海地域)の人々に導きを与えるために遣わされた。この地の住民は神以外の存在への崇拝を行なっていた。彼らはルートの導きを受け入れなかった。ついに彼らは神の怒りに直面せざるを得なくなり、ルートとその仲間以外は皆殺された。
ルートの民が住んでいた町の廃墟は死海沿岸にあり、クライシュの部族はシリアやパレスチナへ交易に行く途中、これらの廃墟をよく通った。しかし残念なことに、人間は自分に降りかかった出来事には注意を払うが、他人の運命から教訓を得ることはめったにないものだ。
☪︎ ユーヌスは、使徒たちのひとりであった
紀元前8世紀に生きたユーヌス(ヨナ)は、イラクの古代都市ニネヴェに預言者として派遣された。ユーヌスは使命を与えられてニネヴェの町に遣わされたが、その後に道を誤った。ニネヴェの町の住民に拒まれた彼は、神の懲罰が下ればいいと彼らを非難、誹謗した。ユーヌスは、神が慈悲と赦しを与える存在であることを忘れてしまっていたのである。
一定期間ダワーの使命を果たした後、彼は民衆が真の信仰を受け入れるつもりがないという結論に達し、その都市を去った。彼は旅を続けるために、おそらくチグリス川の岸辺で船に乗った。船は積荷が過重で、目的地までの途中で沈没するのではないかと心配された。舟の重荷を軽くするために、誰が舟から投げ出されるかを決めるくじ引きが行われた。ユーヌスの名が引かれたので、海の男たちは彼を船から投げ捨てた。そして、神の命により、巨大な魚が彼を飲み込み、川岸に連れて行き、陸に投げ捨てた。
ユーヌスは時を待たずして民のもとを去ったが、神はこのようにして彼が民のもとに戻るよう定められた。彼は戻って再び説教を始め、その結果、その地域の十二万五千人の住民はみな信者になった。この出来事は、たとえ地域社会が彼に敵意を抱いたとしても、説教者には忍耐が絶対に不可欠であることを示している。
☪︎ かの御方とジンのあいだに関わりがある
「ジン」は神の敵であり、神と対等な存在であるという信仰がある。また、悪の力はジンの手の中にあり、正義の力は天使の手の中にあると彼らは考えている。よって、人に問題を起こしたり成功をもたらしたりする力を持っている。同様に、ゾロアスター教徒は神格の二重性を信じている。彼らによれば、ヤズダンは正義の神であり、アヘルマンは悪の神である。しかし、この信念を持つ人々は大きな誤解をしている。
天使たち自身が唯一神の偉大さを常に宣言しているのに、人間は間違った思い込みに基づいて天使たちを崇拝している。
少なくとも天使たちは、神への奉仕のみに従事する純粋な存在である。しかしイスラーム以前の民の迷信では、神に娘があるとするばかりではなく、あらゆる種類の霊的な存在が、その善悪に関わらず神と血縁関係を持つものとされていた。こうした神話においては、最も邪悪な力を持つ存在が、神と同等の地位にある男神、あるいは女神として描写され、創造主である神の一族としてひとつの館に同居しているかのように語られる。こでは神についてのそうした理解のあり方が、一段と強い調子で否定されている。
THE ALIGNERS (as-Saffat)【英語訳】
関連記事:ヤー=スィーン 📖 Ya-Seen【第36章】クルアーン~「咆哮の一声」がもたらす強烈な衝撃 – 地震や…
関連記事:サード 📖 Ṣād【第38章】クルアーン~イブリース (サタン) の策略から身を守る
参考図書: