イスラームの社会的側面
イスラームは社会の安定性を確実なものとするため、全個人の権利と義務を定める社会法を提供しています。その内のあるものは特殊なものでまたあるものは一般的なものですが、特殊なものは以下に挙げる通りです:統治者の権利
1
ムスリムは統治者がイスラームで禁じられていることを行わない限り、彼に服従する義務があります。至高のアッラーはこう仰いました:
信仰する者たちよ、アッラーとその使徒と、あなた方の内の諸事を任された権威に従うのだ。(クルアーン 4:59)
2
ムスリムは統治者に対し、彼とその臣民を福利へと導いたり、あるいは彼に必要な事柄を思い起こさせることにつながるような類いの、親身かつよい形における誠実なアドバイスをすることが義務となります。アッラーは真の宗教を伝えるため、モーゼとその兄弟アーロンを暴君ファラオに遣わした時、こう仰いました:
そして彼(ファラオ)に穏やかな言葉で話しかけよ。そうすれば彼は忠告を聴き入れ、畏怖の念を抱くかもしれない。(クルアーン 20:44)
またアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言いました:
「宗教とは助言である。」私たちは言いました:「誰に対しての助言ですか?」(預言者は)言いました:「アッラーとその啓典と、その使徒、そしてムスリムの指導者たち及び一般の者たちに対する助言である。」(ムスリムの伝承)
3
災厄や苦難の際に、彼に反旗を翻したり見捨てたりせず、彼を援助すること。それは例えその統治者が、忠誠を誓っていない派閥や集団に属する者であったとしてもです。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言っています:
「あなた方の諸事が全て一人の者に任されているというのに、あなた方を分裂させるか、あるいはあなた方の集団を分散させようとする者が現れたら、その者を殺すのだ。」(ムスリムの伝承)
統治される側の権利
この権利は五つの一般原理のもとに成り立っています:
1
公正:これは全ての者にその権利を全うすることで達成されます。統治者は他者の権利保護やその任務の遂行、責任分担や法や裁決の履行などにおいて、公正であることが求められます。彼の前では全ての者が平等であらなければならず、いかなる個人や集団も贔屓してはなりません。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:
「アッラーが最も愛でられ、また審判の日に最もかれの御許に近い場所に座を占めるのは、公正な統治者である。一方審判の日に最も忌み嫌われ、かつ最も厳しい懲罰を受けるのは暴君である。」(アッ=ティルミズィーの伝承)
2
統治者が民衆を抑圧したり、欺いたりしないこと:アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:
「アッラーが人々の後見を命じられたにも関わらず、その者たちを欺いたまま他界したしもべは、アッラーによって天国を禁じられよう。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)
3
統治者が民衆の政治的・経済的・社会的利益に関する全ての物事において、彼らと協議すること*:彼は彼らの発言を許し、公益に最も適った意見があればそれを受容しなければなりません。至高のアッラーはこう仰いました:(協議する物事は、クルアーンとスンナにおいていかなる言及もされてはいないことに限定されます。)
そしてあなたが彼らに対して優しくしたのは、実にアッラーからのご慈悲ゆえであった。もしあなたがぞんざいで頑なであったなら、彼らはあなたのもとから離散してしまったことであろう。ゆえに彼らを赦し、彼らのために罪の赦しを乞え。そして諸事において彼らに相談するのだ。(クルアーン 3:159)
アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はバドルの戦役の際、井戸の後方に野営しましたが、その時教友の一人アル=フバーブ・ブン・アル=ムンズィルが彼にこう訊ねました:「この場所はアッラーがお選びになられたのですか?それともこれは戦略なのですか?」彼は答えました:「戦略である。」それでアル=フバーブは言いました:「もう少し前進して、井戸を私たちの後ろにしましょう。そうすれば敵軍はそこから水を飲むことが出来なくなります。」そして預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は、彼の意見を受け入れました。
4
治める法律が、イスラーム法に則したものであること:いかなる統治者も、その不完全な思いつきや私欲などによって判決を下したりしてはなりません。第二代目カリフのウマル・ブン・アル=ハッターブは彼の兄弟のザイド・ブン・アル=ハッターブを殺したアブー・マルヤム・アッ=サルーリーにこう言いました:
「アッラーにかけて。私は地面が血を愛するまで、あなたを愛さないであろう。」するとアブー・マルヤムは言いました:「その憎しみゆえに私は私の権利を失うのか?」ウマルは言いました:「いや。」するとアブー・マルヤムは言いました:「それなら構わない。誰かに嫌われるのが嫌なのは女性だけだからな。」
5
統治者は常に門戸を開放し、自らを民衆から遮断したり、あるいは彼らを見下したりしないこと。また彼らとの間の取次ぎを置き、ある者たちの訪問を許す一方で、別の者たちが訪問するのを拒否したりしないこと。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:
「ムスリムの諸事に関していくつかの責任を負わされたにも関わらず、彼らの欠乏や必要、窮乏や貧困をないがしろにする者は、審判の日に偉大なるアッラーが彼の欠乏や必要、窮乏や貧困をないがしろにされるであろう。」(アブー・ダーウードの伝承)
6
統治者は臣民に対して哀れみ深くあり、彼らが担いきれないような負担をかけたり、また彼らの生活手段を制限したりしないこと。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:
「アッラーよ、私の共同体の諸事を任せられた者が彼らに厳しくあたるのであれば、彼に厳しくおあり下さい。そして私の共同体の諸事を任せられた者が彼らに優しくあたるのであれば、彼に優しくおあり下さい。」(ムスリムの伝承)
またウマル・ブン・アル=ハッターブはこう言って、事の重大さを表現しています:
「アッラーに誓って。もしイラク地方でラバが転んだら、私はアッラーが私に“なぜ道をならさなかったのだ?”とお咎めになることを恐れる。」
そしてムスリムの統治者は、アル=ハサン・アル=バスリーがウマル・ブン・アブドゥルアズィーズに対してこう書いて送ったような人物であるべきです:
「信仰者の長よ!アッラーは公正な統治者を、誤りを矯正し、抑圧する者を阻止し、腐敗を改め、弱者には正義を与えて強くし、苛まれている者には援助をもたらす者とされたことをお知り置き下さい。
信仰者の長よ!公正な統治者とは、その家畜の群れに最上の牧草を探してやり、危険や野獣が存在する地域から遠ざけて害悪から守ってやる羊飼いのようなものです。
信仰者の長よ!公正な統治者とは、その子供たちのために骨を折り、彼らの成長の折には教育を施し、その命ある限り彼らのためのパンを稼ぎ、その死後には富を遺してやる面倒見のよい父親のようなものです。
信仰者の長よ!公正な統治者とは、その息子を優しく世話する愛情深い母親のようなものです。彼女は大変な思いをして彼を宿し、大変な思いをして産み落とします。また彼が幼少の頃には、彼が夜に起きれば彼女も起き、彼が眠れば彼女も眠りつつ世話をします。そして時には乳を与え、また時には離しつつ、彼が健康であることを喜び、不満である時には心配するものなのです。
信仰者の長よ!公正な統治者とは、孤児の後見人や貧者の引受人のようなものです。彼はその者たちが若い時には世話をし、年をとったら様々な物を供給します。
信仰者の長よ!公正な統治者とは、肋骨の奥の心臓のようなものです。心臓が健康であれば肋骨もそうであり、心臓が病気であれば肋骨もまたそうなのです。
信仰者の長よ!公正な統治者とは、自らアッラーの御言葉を聴く一方で臣民にもそうさせ、また自らアッラーの報奨を求める一方で彼らにもそうさせるものです。そして自らアッラーに服従する一方で、彼らにもそうさせるのです。信仰者の長よ、アッラーがあなたに授けられたものを誤用してはなりません。その主人によって財産と家族を託されたのにも関わらず、財産を浪費し、家族を宿無しにしてしまう召使のようになってはいけません。
信仰者の長よ!アッラーが、そのしもべを悪から逸らすためにある種の刑罰を定められたことをお知り置き下さい…それでは、その任務に携わる者自身がそれらの刑罰に値する罪を犯したら、一体どうなってしまうでしょうか?そしてその実施は人々の生命の保護です…それでは、その任務に携わる者自身が殺人を犯したら、一体どうなってしまうのでしょうか?
信仰者の長よ!死をよく思い起こしていて下さい。そしてその後に起こる物事と、その時に助けてくれる者の少なさを。ですから死と、その後に続く恐ろしい出来事のために、あらゆる物を集結させて準備しておいて下さい。
信仰者の長よ!あなたの死後の住居は、現世でのそれとは違うということをご存知下さい。そこであなたは長く休息することが出来、友人たちと会うことも出来ます。また一人っきりになることも出来るのです。ゆえにあなたが死後も携えて行けるような物こそを、手にして下さい。
その日人はその兄弟や母親、父親や配偶者、そしてその子供たちからさえも身を翻す。(クルアーン 80:34‐36)
信仰者の長よ!アッラーの御言葉を思い起こして下さい:
墓の中のものが覆されて出され、そして(人々の)胸中にあるものが暴き出される時。(クルアーン 100:9-10)
その日あなたの善行の記録と共に、全ての秘密が明かされるのです:
これは瑣末なことも大きなことも、一つたりとも残さず(記録され)数え上げられているではないか!? (クルアーン 18:45)
信仰者の長よ!まだ死までには時があります。そして全ての希望が失われてしまう時までには。
信仰者の長よ!あなたの民をイスラーム法でもって裁いて下さい。そして誤った者のやり方で、彼らを導かないで下さい。信仰者との約束も遵守せず、栄誉も与えないような薄弱者には、思い上がらせるような権威を与えないで下さい。それはあなたが他人の罪によってお咎めを受けないためでもあります。また、あなたを悲惨さへと導く物事を喜ぶ者たちに騙されてはなりません。彼らは来世においてあなたの善行を奪い、この世においては善を貪り食べてしまいます。また今日の権威を考えるのではなく、明日の権威に思いをお巡らし下さい。死があなたを襲う時、そして審判の日に天使や使徒、預言者らが集結する中、あなたがアッラーの御前に召される時のことを…
(その日全ての)面々は、永生し全てを司る御方の御前に屈従する。(クルアーン 20:111)
信仰者の長よ!このご進言は賢人や理知と英知を備えた人々の水準には到底及びませんが、私はそこにおいて誠実の限りを尽くしたつもりです。ゆえにこのメッセージを、愛する者がその敬愛する者に宛てたものとして、そして一粒の薬としてお受け取り下さい。多少の苦味はあれど、きっと治療には役立つことでしょう。」
両親に対する権利
子供は罪深いことを命じられるのではない限り、その両親に従う義務があります。子供は両親によく接し、親切であり、彼らの物質的・精神的満足を満たすために努力奮闘しなければなりません。また彼らのために飲食や衣服、住まいなどの必要を確保する義務もあります。子供は両親に柔らかな言葉を用い、粗暴な振る舞いをしてはなりません。そして彼らへの奉仕において忍耐深くあり、彼らの気持ちをよく酌んでやる必要があります。また彼らの悪口を言ったり、彼らの気分を害したり、彼らを憤慨させたりするようなことも避けるべきです。至高のアッラーはこう仰っています:
そしてあなたの主は、あなた方がかれ以外の何ものも崇拝せず、両親に孝行することを命じられた。彼らの内片方、あるいはいずれもが高齢に達したら、うんざりしたり乱暴に応対したりしてはならない。しかし彼らにいたわりの言葉をかけてやるのだ。(クルアーン 17:23-25)
イスラームは両親への不服従を、大罪の一つと見なしています。教友アブドゥッラー・ブン・アムルは、あるベドウィンの男がアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)のもとにやって来て、こう言ったと伝えています:
「アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)よ、大罪とは何ですか?」彼は言いました:「アッラーに対してシルク*を犯すことだ。」男は言いました:「その次は?」彼は言いました:「親不孝だ。」男は言いました:「その次は?」彼は言いました:「沈下の宣誓だ。」男は言いました:「沈下の宣誓とは何ですか?」彼は言いました:「ムスリムの財産を手に入れるために行う、嘘の誓いのことだ。」(アル=ブハーリーの伝承)(*「シルク」とは、アッラーのみが有する権利や性質において、アッラー以外の何かを共有させる信仰や行為のことを指します。)
イスラームは両親の地位を、このように描写しています。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:「アッラーのご満悦は両親の満足によって得られる。そして両親の怒りは、アッラーのお怒りを呼ぶことになるのだ。」(アッ=ティルミズィーの伝承)
そしてこの権利は、例え両親が違う宗教に属していたとしても遵守しなければなりません。初代カリフであったアブー・バクルの娘アスマーゥは、こう言いました:
「アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の時代に、シルクの徒だった私の母親が私のもとを訪れました。それで私はアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)に(彼女とどう接するべきか)相談しました。私は言いました:“私の母親が私の孝行を求めてやって来たのですが、私は彼女によくしてやるべきでしょうか?”(預言者は)言いました:“ああ。お母さんに良くしてやりなさい。”」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)
尚母親は、子供からの親切とよい付き添いにおいて、父親よりも優先されます。教友アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は、ある男が預言者(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)のもとにやって来てこう言ったことを伝えています:
「アッラーの使徒よ、私が最も良い関係を保つべき人は誰でしょうか?」(預言者は)言いました:「母親だ。」(男は)言いました:「その次は?」(預言者は)言いました:「母親だ。」(男は)言いました:「その次は?」(預言者は)言いました:「母親だ。」(男は)言いました:「その次は?」 (預言者は)言いました:「母親だ。それから父親だ。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)
こうして預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は、母親に父親の三倍の権利を認めています。これは父親にはない苦労を母親が負っているためです。アッラーは母親を、このように描写しています:
そしてわれら(アッラーのこと)は人間に、両親に善行を尽くすよう命じた。母親は彼(女)を辛苦をもって身ごもり、また辛苦をもって産み落としたのだ。(クルアーン 46:15)
母親は胎児を宿している際も自らの栄養を与え、出産の折も、そして出産後も、食事を与えたり夜通し世話したりすることにおいて大変な苦労をするのです。
夫の権利
1
夫の役割は統率です。彼には一家の統率者となる権利がありますが、暴君となってよいわけではありません。彼は家族にとって最も福利の多いと判断した物事を遂行するのです。至高のアッラーはこう仰いました:
夫は妻の監督にあたる。アッラーは彼を彼女より上に位置づけられ、また彼は彼女のために自らの財から拠出するのであるから。(クルアーン 4:34)
これは男性が物事の遂行にあたって、一般的に女性よりも理性的であるためでしょう。女性は男性に比べてより感情的と見られます。しかし夫はその妻と物事を相談し合うべきであり、夫婦生活の諸事において彼女の意見を聞かなければなりません。
2
妻は何か罪深いことを命じられるのではない限り、その夫に従わなければなりません。
3
夫が妻を寝室に誘ったら、彼女はそれに応じなければなりません。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:「夫が妻を寝床に誘っても彼女がそれに応じず、彼が怒りの中にあるままその晩を過ごすとしたら、天使たちはその夜が明けるまで彼女を呪い続けるであろう。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)
4
妻は夫を、彼が実現することが出来ないような要求でもって苦しめてはなりません。むしろ彼女は夫を満足させ、その願望を叶える努力をするべきです。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言っています:「もし私が誰かを別の者に跪拝するように命じたとしたら、女性をその夫に向かって跪拝するように命じたであろうに。」(アッ=ティルミズィーの伝承)
5
妻は夫の財産と子供、名誉を守らなくてはなりません。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:
「最善の女性とはあなたが彼女を見ればあなたを喜ばせ、またあなたが(何か)命じればそれに従い、そしてあなたが留守にすれば彼女自身とあなたの財産を守ってくれるような女性である。」(アン=ナサーイーの伝承)
6
妻は外出の際には、夫の許可を得る必要があります。また彼が好まないような者を、勝手に家に入れたりしてはなりません。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:
「あなた方(男性)には女性に対しての権利があり、女性にはあなた方に対しての権利がある。そしてあなた方の女性に対する権利とは、彼女たちがあなた方の好まない者をあなた方の褥に入れたり、あるいはあなた方の家に入れたりしないことである。そして彼女たちのあなたに対する権利とは、あなた方が衣服や食事において彼女たちに良くしてやることである。」(イブン・マージャの伝承)
初期のムスリムたちは、このような指導をきちんと実践していました。アウフ・ビント・ムフリム・アッ=シャイバーニーは、彼女の娘の結婚前夜にこう助言しています:
「娘よ、あなたは生まれ育った生家を旅立ち、知らない男性であり、親しんだこともない伴侶のもとへ旅立とうとしています。ですからあなたは彼の女中となり、召使となるのですそしてそれらを遵守すれば彼があなたを大事にしてくれる、十の事柄を守りなさい:満足。服従。美しさに配慮し、芳香を漂わせていること。夫の睡眠と食事に留意すること。夫の財産と子供の世話。夫に反抗しないこと。彼の秘密を守ること。そして彼が心配している時に喜びを表したり、彼が喜んでいる時に悲しみを見せたりしないこと。」
妻に対する夫の義務
1
マハル(婚姻の際の贈与財):女性は、婚姻の契約の際に明言されるマハルを受領する権利があります。これは婚姻の契約には欠かせない重要な部分であり、例え女性側がそう望んだとしても、完全に免除したりすることは出来ません。至高のアッラーはこう仰いました:
そして女性たちにマハルを、定められたものとして贈るのだ。そしてもし彼女らが自ら進んでそれを譲るというのなら、それを有難くよい形で頂くのだ。(クルアーン 4:4)
2
公正と平等:もし男性に複数の妻がある場合、彼は彼女たちと平等によい形で接しなければなりません。また飲食物や衣服、住居や共に過ごす時間においても、平等に扱う必要があります。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:
「二人の妻を有する者でその一方のみを贔屓する者は、審判の日にその体の半分が傾いた状態で現れるであろう。」(アブー・ダーウードの伝承)
3
妻子の扶養:夫は彼らに適切な住居や生活必需品‐飲食物や衣服など‐を供給する他、その能力が許す範囲において生活費を拠出する義務があります。 至高のアッラーはこう仰いました:
裕福な者はその裕福な物の内から拠出させ、そして(経済的に)恵まれない者はアッラーが彼にお恵み下さった物の内から拠出させるのだ。アッラーは人に、かれが授けられた以上のものを課されることはない。(クルアーン 65:7)
イスラームは家族への扶養を励行する意味で、それを来世において報奨を受ける慈善行為という位置づけをしています。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は、彼の教友の一人であるサアド・ブン・アビー・ワッカースにこう言いました:
「そして妻の口元に運ぶ一匙(の飲食物)であろうと、あなたが(扶養する者に)費やす物は何であれ施しとなるのである。」(アル=ブハーリーの伝承)
また適切な扶養義務を果たさない夫の妻は、彼の許可なくその財産を利用する権利を有します。ヒンド・ビント・ウトゥバという女性はある時、アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)にこう言いました:
「アッラーの使徒よ、(私の夫)アブー・スフヤーンは吝嗇家で、私と私の子供に十分なものを施してはくれません。私は彼の知らないように彼(の財)から取らず
にはいられないのです。」すると彼は言いました:「あなたとあなたの子供に十分なものを、適度に取りなさい。」(アル=ブハーリーの伝承)
4
妻を労り、彼女と特別によい関係を保つこと:これは、イスラームが夫に命じている最も重要な事柄の内の一つです。というのも妻は特に愛情を必要としているものであり、夫は僅かな物であっても妻の願望を叶えるべきものであるからです。またこのことは、妻が咎められるべき行いに足を踏み入れることを防止してくれる役割をも果たすことでしょう。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は、教友ジャービルにこう言いました:
「ジャービルよ、結婚したか?」ジャービルは言いました:「ええ。」彼は言いました:「(彼女は)初婚か、それとも既婚者か?」ジャービルは言いました:「既婚者です。」彼は言いました:「どうして一緒に遊んだり、笑い合ったり出来る若い乙女と結婚しなかったのか?」(アル=ブハーリーの伝承)
5
妻の秘密を守ること:夫は彼女との私的関係を内密なものとし、彼女の秘密や欠点、その他彼女が他人には知られたくないような事実を暴露してはなりません。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言っています:
「審判の日にアッラーの御許で最悪な位階にある者とは、妻と性的関係を持った後に、彼女の秘密を暴露する者である。」(ムスリムの伝承)
6
妻に優しくすること:夫は彼女を懇ろに扱わなければなりません。彼は両者に関する日常的諸事において彼女に相談し、彼女を幸せにする手段を模索し、言葉や遊びなどを通して愛情表現をするべきです。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言いました:「最も完成された信仰者とは、最も人格の優れた者である。そしてあなた方の内で最善の者とは、あなた方の妻に対して最善の者である。」(アッ=ティルミズィーの伝承)
7
妻の間違いに寛容であり、彼女の欠点の粗探しをしたりしないこと:アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言っています:
「信仰者の男性が信仰者の女性を嫌うことがあってはならない。もしその外見が気に入らなかったとしても、別の一面(あるいは他の複数の側面)が彼を満足させてくれるであろう。」(ムスリムの伝承)
8
妻を嫉妬させないようにすること。また、彼女を邪悪で腐敗に満ちたような場所へ連れて行ったりしないこと。至高のアッラーはこう仰いました:
信仰する者たちよ、あなた方自身とあなた方の家族を地獄の業火(へと招くような事柄)から守るのだ。(クルアーン 66:6)
9
妻の財産を守ること:夫は彼女が許可を与えない限り、その所有物に手を付けたりしてはなりません。また彼女の同意なく、その財産を使用したりしてもいけません。
親戚の権利
イスラームは人々に援助の手を差し伸べることを命じていますが、親戚に対しては更に特別な配慮を払うことを勧めています。そしてそれは義務的、あるいは任意の施しなどを通して彼らの経済的必要を満たしてやることであったり、あるいは彼らの状況を尋ねたり、親切や同情心をもって接したり、または喜びや悲しみを分かち合ったりすることなどを通して道徳的義務を果たすことであったりします。 至高のアッラーはこう仰いました:
そしてあなた方がかれにおいて同情し合うところのお方と、親戚の絆の断絶に対して身を慎め。(クルアーン 4:1)
イスラームは、例えその者が自分に対して親切ではない者であったとしても、近親に対しては親切に接することを命じています。また彼らに何か悪いことをされてもそれを許し、例え感じの悪い者であったとしても、友好的に対することを勧めています。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:
「(真に)近親との良い関係を保つ者というのは、自分がされたことに対して報いる者のことを言うのではない。その関係が途絶えた時に、それをつなぎとめるような者のことを言うのだ。」(アル=ブハーリーの伝承)
またイスラームは、親戚関係の断絶に対して厳しい警告をし、それを大罪の一つと見なしています。預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう言いました:
「アッラーが被造物をお造りになり、そして創造を終えられた時、子宮が(何か求めて)立ち上がった。それでアッラーはこう仰った:“何かあるのか?”子宮は言った:“私はあなたに、近親関係の断絶からのご加護を求めて立っているのです。”アッラーはこう仰った:“お前は、われがお前を繋ぎ止める者を繋ぎ止め、お前を絶つ者を絶つということを喜ばないのか?”子宮は言った:「主よ、もちろん喜びます。」アッラーは仰った:“それがあなたへのものだ。”」それからこの伝承を伝える教友アブー・フライラは、クルアーンの次の節を唱えました:
それではあなた方は(イスラームへのいざないから)踵を返して、地上に腐敗を広め、近親の絆を絶つことを望んでいるのか?(ムハンマド章 47:22)(アル=ブハーリーの伝承)
子供の権利
子供は守られ、その諸事を十分に気遣われ、適切な養育を受け、食事や衣服や住居などの必要を満たされる権利を有します。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:
「自らが扶養すべき者に対して怠慢である者は、十分に罪深い者である。」(アブー・ダーウードの伝承))
また子供には良い名前を選んで付けるべきです。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言いました:
「あなた方は審判の日に、あなた方の名とあなた方の父親の名で呼ばれるのだ。ゆえに良い名前をつけるがよい。」(アブー・ダーウードの伝承)
また子供は、謙虚さや年長者への敬意、真摯さ、誠実さ、両親への服従といった良い作法でもって躾けられなければなりません。同時に嘘や欺瞞、不実さや盗み、両親への不服従などの悪い言動が染み付かないようにも配慮される必要があります。
また彼らは来世と共に、この現世においても役立つような教育を施されるべきです。そして適切な養育を受け、よい友人と連れ合うようにさせます。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言いました:
「あなた方は皆後見人である。そしてあなた方は皆、その後見下にある者たちに対して責任がある。(組織や集団の)長はその民に対して責任があり、また男は家庭の中における後見人であり、家族に対して責任を持つ。また女性は夫の家における管理者であり、彼女の管理下にある者たちに対して責任を持つ。そして小間使いは主人の財の管理者であり、彼もまたその管理下にあるものに対して責任を持つのだ。”」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)
また、子供の安全を気遣わなければなりません。これはアッラーに対して、彼らに悪いことを祈ったりしないことも含まれます。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:
「あなた方自身やあなた方の子供、またあなた方の小間使いやあなた方の財産に対して悪いことを祈ってはならない。そして至高のアッラーが望みを叶えて下さる特定の時間帯にそのようなことを行い、それが実現してしまわないようにするのだ。」(ムスリムの伝承)
また子供たちは平等に扱われる権利があります。親は、彼らの内の特定の者だけに何かを与えたりしてはなりません。このような贔屓は両親に対する子供の不服従につながり、親に対する嫌悪感を煽る結果ともなり得るでしょう。教友アン=ヌゥマーン・ブン・バシールは、こう伝えています:
「私の父は、私に彼の財産の一部を施しとして贈与しました。しかし私の母アムラ・ビント・ラウワーハはこう言いました:“私はアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)がその(行為についての)証人となるまで、それに同意しません。”それで父は彼が私に贈与した物に関して証人になってもらうため、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)のもとに赴きました。そして預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう言いました:“あなたは、あなたの子供全員に(彼に与えた物と)同様の物を与えたのか?”父は言いました:“いいえ。”するとアッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:“アッラーを畏れよ。そしてあなたの子供たちに対して公正であれ。”それから父は戻ると、その施しを撤回しました。」(ムスリムの伝承)
隣人の権利
イスラームはあらゆる側面において、隣人に良くすることを命じています。至高のアッラーはこう仰いました:
そしてアッラーを崇拝し、かれと共に何ものをも配してはならない。そして両親と近親と孤児、恵まれない境遇にある者たち、また近い隣人と遠い隣人、そして近しい仲間と旅路(で苦境)にある者、あなた方の右手が所有する者(奴隷)に対して善行を施すのだ。実にアッラーは、自惚れ屋の高慢な者を愛で賜らない。(クルアーン 4:36)
そして隣人を言葉や行いでもって害することは、禁じられています。教友アブー・フライラはこう伝えます:
「ある者がアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)に、こう言いました:“何某という女性は日中は断食し、夜中は礼拝して過ごしますが、その言葉でもって隣人を害します。”すると彼は言いました:“彼女には全く良い所がない。彼女は地獄の業火にある。”そしてまたある者が彼に、こう言いました:“何某という女性は義務の礼拝とラマダーンの断食だけ行い、何かけらかの乾燥乳を施すのみですが、誰のことも言葉で害したりはしません。”すると彼は言いました:“彼女は天国にある。”」(アフマドとアル=ハーキムの伝承)
イスラームにおいて、隣人は非常に高い地位と権利を与えられているのです。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言っています:
「もしかすると遺産相続までさせるのでは、と私が訝るほどに、ガブリエル(ガブリエル)は私に隣人への善行を命じ続ける。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)
また隣人を害することは、信仰の無効化にすら繋がり得ます。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言いました:
「アッラーにかけて、(そのような者は)信仰していない。アッラーにかけて、(そのような者は)信仰していない。アッラーにかけて、(そのような者は)信仰していない。」(教友たちは)言いました:「一体誰のことですか、アッラーの使徒よ?」(預言者は)言いました:「隣人を害して安心させることがないような者のことだ。」(アル=ブハーリーの伝承)
また預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は隣人の権利について質問され、それについてこう定義づけています:
「至高のアッラーの御許で最善の伴侶とは、その伴侶に対して最善の者である。そして至高のアッラーの御許で最善の隣人とは、その隣人に対して最善の者である。」(アッ=ティルミズィーの伝承)
またムスリムは隣人に悪い目を受けても、それに忍耐強くなければなりません。そしてそのような者に対しても親切に、寛大に接するべきとされます。ある男は、教友イブン・マスウードにこう言いました:
「私の隣人は私を害し、罵り、嫌がらせをします。」彼は言いました:「行きなさい。その男があなたのことでアッラーに従わなくても、あなたは彼のことでアッラーに従うのだ。」(イフヤー・アル=ウルームッディーン:2/212)
隣人には三つの種類があります:
1) 親戚の隣人:この類の者は三つの権利を有します。つまり親戚としての権利、隣人の権利、そしてムスリムとしての権利です。
2) ムスリムの隣人:この類の者は二つの権利を有します。つまり隣人の権利、そしてムスリムとしての権利です。
3) 非ムスリムの隣人:この類の者は一つの権利を有します。つまり隣人としての権利です。教友アブドゥッラー・ブン・アムルはある時羊を一頭料理しましたが、料理をしている者のもとにやって来るとこう言いました:
「ユダヤ教徒の隣人にはおすそ分けしたか?ユダヤ教徒の隣人にはおすそ分けしたか?私はアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)がこう言うのを聞いたのだ:“もしかすると遺産相続までさせるのでは、と私が訝るほどに、ガブリエル(ガブリエル)は私に隣人への善行を命じ続ける。”」(アッ=ティルミズィーの伝承)
友人や仲間の権利
イスラームは、友人の必要に気を配ることを励行しています。そして援助や真摯な助言など、彼らに対してのある種の権利を満たしてやることを命じています。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:
「至高のアッラーの御許で最善の伴侶とは、その伴侶に対して最善の者である。そして至高のアッラーの御許で最善の隣人とは、その隣人に対して最善の者である。」(アッ=ティルミズィーの伝承)
友人や仲間はその死後に及んでも、その権利を満たされる必要があります。ある時バヌー・サラマ族の男がやって来て、アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)にこう尋ねました:
「両親の死後も出来る親孝行はありますか?」預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「ああ。彼らのために葬儀の礼拝をし、罪の赦しを乞い、彼らの(生前の)約束を果たすことだ。また彼らを通してつながる近親関係との絆を保ち、彼らの友人たちに誉れを与えることだ。」(アブー・ダーウードの伝承)
客人の権利
イスラームでは、客にはもてなされる権利があることを認めています。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:
「アッラーと審判の日を信ずる者は、隣人を厚遇せよ。そしてアッラーと審判の日を信ずる者は、客人を誉れでもって手厚くもてなすのだ。」ある者が言いました:「アッラーの使徒よ、誉れとは何ですか?」彼は言いました:「(最初の)一昼夜のことだ。もてなしは三日間であり、その後(のもてなし)は施しである。そしてアッラーと審判の日を信ずる者は、よいことを喋るか、さもなくば黙っていよ。」(アル=ブハーリーの伝承)
イスラームは客をもてなすことを、それでもって来世での報奨が期待される一つの善行としています。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:「(馬の)手綱を握りしめてアッラーの道に奮闘し、人々の悪を避ける者のような者(とその徳において並ぶ者)はいない。また遊牧地で羊を飼い、客にもてなしをし、その義務を果たすような者(とその徳において並ぶ者)はいない。」(アフマドとアル=ハーキムの伝承)
イスラームは客といかに接するかという手法についても、描写しています。客を接待する者は朗らかに丁重な挨拶をし、よい形で対応することが求められます。
そしてその一方で、客の側も接待する側の状況を考慮しなければなりません。その者に大きな負担をかけるようなことは避けるようにします。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:
「ムスリムはその同胞を罪に陥れるまで、彼のもとに滞在することを許されない。」人々は言いました:「アッラーの使徒よ、罪に陥れるとはどういうことでしょう?」彼は言いました:「もてなす物が何もないような者のもとに留まることである。」(ムスリムの伝承)
イスラーム中世の大学者イマーム・アル=ガザーリーはその著「イフヤー・アル=ウルームッディーン(宗教諸学の再生)」で、預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)についてこう記しています:
「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はその客人や訪問者をもてなしましたが、時には近親や乳親族*でない者に対しても自らの衣を広げてその上に腰を下ろさせたりしたものでした。また訪問者には自ら使用していたクッションを差し出し、もしそれを断るような事があれば、そうするように強く勧めました。彼のもてなしを受けた者は皆、彼以上に寛容な人物を見出すことがありませんでした。また彼は全ての訪問者に注意を払い、彼の座り位置や傾聴、話の仕方や善良な性質、そして体の向き加減などは常に彼らに向けられていました。そしてそれにも関わらず、彼との会合は誠実さと羞恥心に溢れた、慎み深いものでした。また彼はその同士を尊重し、クンヤ*で呼んだものでした。…彼は怒ることも滅多になく、それどころか何事にもすぐ満足する人でした。」(*イスラーム法上の授乳を通して形成された、特別な親族関係のことです。)(クンヤとは「アブー・何某(何某のお父さん)」といった風に、その息子の名をつけて呼ぶこと。)
雇用に関する権利
労働や雇用に関しても、イスラームは雇用者と従業員あるいは労働者間の関係を定める原則と指針を提供しています。 労働者あるいは従業員の権利イスラームは雇用者と従業員あるいは労働者間の関係が、兄弟愛と平等、尊厳という原則の上に成立しなければならない、とします。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言っています:
「あなた方に仕える者たちは、アッラーがあなた方の配下に置かれたあなた方の同胞である。ゆえに同胞の世話を任せられている者は、自分が食べている物を彼にも与え、また自分の着る物を彼にも与えるのだ。そして彼らが担えないほどの負担を課してはいけない。もしそうするのであれば、彼らを助けてやるのだ。」(アル=ブハーリーの伝承)
またイスラームは、彼らが報酬を手に入れることを保障します。預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は、至高のアッラーがこう仰ったと伝えました:
「(次の)三者には、われ(アッラーのこと)が審判の日にその敵対者となるであろう:わが御名のもとに約束しておいて、騙す者。また自由民を売り、その利益を貪る者。そして人を雇い、その者が(依頼した)仕事を完遂したにも関わらず、賃金を支払わない者。」(アル=ブハーリーの伝承)
また報酬の額や内容は、仕事を開始する前に決定するよう命じられています。アフマドが伝える伝承によれば、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は報酬におい合意する前に人に働かせることを禁じました。
またイスラームは、仕事が終わりしだい報酬を払うことを命じています。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言いました:
「雇った者には、その汗が乾く前にその報酬を払うのだ。」(イブン・マージャの伝承)
また労働者は、その能力以上の物を課せられるべきではありません。もし雇用者がそのようなことを要求するのならば、彼は労働者に特別な報酬を与えるか、あるいは自ら彼を手伝わなければなりません。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:
「彼らが担えないほどの負担を課してはいけない。もしそうするのであれば、彼らを助けてやるのだ。」(アル=ブハーリーの伝承)
またアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は労働者の栄誉と尊厳を確認すべく、最善かつ最も潔白な稼ぎは合法な手段でもってなされる労働である、と述べました。彼は言いました:
「自らの手で稼いだ物によって食べる者より、良い物を食べる者はいない。アッラーの預言者ダヴィデ‐彼に平安あれ‐は、自らの手で稼いだ物によって食べていたのである。」(アル=ブハーリーの伝承)
また労働を励行すべく、アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言いました:
「私の魂がその御手に委ねられているお方にかけて。恵んで貰えるかどうかに関わらず人に物乞いなどするよりは、(糧を稼ぐために)綱をもって背中に薪を背負う方が良いのである。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)
雇用者の権利
イスラームは雇用者が労働者や従業員に彼らの権利を満たすことを要求する一方、労働者も雇用者の権利を守ることを命じています。労働者は雇用者との間で合意した仕事を、遅延や失敗などすることなく、良い形で遂行しなければなりません。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:
「実にアッラーはあなた方が何かを行う時には、それを完遂することを愛されるのだ。」(アブー・ヤァラーの伝承)人々が合意した仕事を誠実にきちんと遂行すべく、イスラームはそのように遂行された仕事の報奨を最善の収入としました。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言っています:
「最良の稼ぎとは、誠実さをもって自ら働いて稼いだ物である。」(アフマドの伝承)
その他の一般的権利と義務
イスラームはその同胞がどこにあろうと、その状況に配慮を払わなければならないとしました。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言っています:
「信仰者たちが互いに慈しみ合い、愛し合い、同情し合うのは、まるで一つの体のようである。体のある部分が痛みを訴えれば、他の部分が不眠と熱に冒されながら、彼の(看病の)ために寄り集まって来るのだ。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)
またイスラームは状況改善のために、努力奮闘することを教えます。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:
「自らの欲するものをその同胞にも欲するようにならなければ、本当に信仰したことにはならない。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)
またイスラームは同胞が災難や苦悩の中にある時、慰めてやることを義務付けています。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:
「信仰者と信仰者の関係は、互いに補強し合って立つ一軒の建築物のようである。」そして(預言者は)両手の指を組み合わせました。(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)
また戦いの折には、必要ならば援助の手を差し伸べなければなりません。至高のアッラーはこう仰いました:
もし彼ら(マディーナに移住せずにマッカに残存したムスリムたち)が宗教においてあなた方に援助を求めて来たら、あなた方は彼らを援助しなければならない。但し(そうすることで)あなた方と彼らの間に盟約のある民に抵触する場合は別である。アッラーはあなた方の行うことを全てお見通しなのだ。(クルアーン 8:72)
同胞が苦境にあるのに知らん顔をするのは、イスラームでは禁じられています。預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は、ムスリムがその抑圧された同胞を援助するよう命じました(アル=ブハーリーの伝承)。
『イスラームのメッセージ』アブドゥッラフマーン・アッ=シーハ著より