アル=ハシュル(アラビア語: الحشر, “追放”)は、クルアーン第59章(スーラ)であり、24節から成る。2節にハシュル(hashr)という単語が出てくることから、この章はアル・ハシュル(al-hashr)と名付けられた。
本章は二節から一七節にある、ユダヤ教徒のナディール族がマディーナから追放された経緯に関連してこの名がつけられている。彼らは預言者を殺害しようともくろみ、そのために追放された。偽善者たちはひそかに彼らに同情し、ムスリムとの交戦があれば、彼らの側につくこと、また、もしも彼らが追放されるようなことがあれば、彼らと共に移住することも約束していた。しかし偽善者たちは、ムスリムが彼らに向かって進軍した際も助けの手を差し伸べようとはせず、また彼らと共に移住することもしなかった。
この章では、最後の3節に神の15の特性であるアッラーの美名が挙げられている。
الحشر【アラビア語】
集合 (放逐) アル=ハシュル 朗読音声
集合 (放逐) アル=ハシュル 【日本語訳】
慈悲あまねく、慈悲深いアッラーの御名において。
1 諸天にあるもの、大地にあるもの、すべてがアッラーを讃美する。もっとも威力ある御方、もっとも賢明な御方。 2 最初の集合のとき、啓典の人々の中にいた、(真理を) 拒む者をその館から立ち退かせた御方。あなたがたは、彼らが立ち退くとは思っていなかった。また彼らも、アッラーに対して自分たちの砦が防いでくれるものと思っていた。しかしアッラーは、彼らが思いもしなかったところから到来し、彼らの心に恐怖を投げ入れた。彼らは自分たちの手で、また信仰者たちの手で家々をとり壊した。それゆえ見る目をもつ者は、(このことを) 教訓としなさい。 3 たとえアッラーが彼らに対し、放逐を定めなかったとしても、必ず現世において彼らに懲罰を科しただろう。また彼らには、来世において火炎の懲罰がある。 4 それは彼らがアッラーとその使徒に歯向かったため。誰であれアッラーに歯向かうなら、本当にアッラーは応報に厳しい。 5 あなたがたが椰子の木を切り倒そうと、あるいはその根の上に立たせたままにしようと、それはアッラーの許しあってのこと。かの御方は、背く者に恥辱を負わせる。 6 何であれ、アッラーが彼らからその使徒に (戦利品として) 渡したものについて、あなたがたがこれらのために (遠征して) 馬やらくだを駆りたてたわけではない。しかしアッラーは、誰であれ御心にかなう者に対する権威を使徒に持たせた。アッラーは、ありとあらゆるものごとにおいて全能である。 7 何であれ、アッラーが彼らからその使徒に (戦利品として) 渡したものについて、町々の住民からのものは、アッラーと、使徒と、(使徒の) 近しい親族と、孤児と、貧しい者と、旅路にある者のためにある。それはあなたがたの中でも、裕福な者のあいだだけに (富が) 行き渡ることのないようにするため。何であれ、使徒があなたがたに与えるものを受け取りなさい。何であれ、彼があなたがたに禁じるものを控えなさい。アッラーを畏れなさい。本当にアッラーは応報に厳しい。 8 また (戦利品は)、貧しい移住者のためにある。自分たちの館からも財からも追い払われ、アッラーの御恵みと喜びを求めてアッラーとその使徒を助ける者たち。これらの者は、 真実の人である。 9 また、彼ら (が移住してくる) 以前から (マディーナの町に) 居をかまえていた。 信じるようになった者のためにある。自分たちのところへ移住してきた者たちを愛し、その胸の中には、与えられたもの (戦利品) への欲望もない。たとえ自分たちの方が困っていても、彼ら (移住者) に重きをおこうとする。自分の貪欲を自制する者たち、これらの者こそ栄える者。 10 彼らの後から来た者たちは言う。「主よ。私たちと、信仰において私たちよりも先だったきょうだいたちを赦してください。私たちの心の中に、信じる者に対するどのような悪意も持たせないでください。主よ。本当にあなたは優しく、もっとも慈悲深い」。 11 あなたは偽善者たちが、そのきょうだいである啓典の人々の中にあって (真理を) 拒む者たちに、「もしあなたがたが放逐されるなら、私たちもあなたがたと共に立ち退こう。あなたがたのことについて、私たちちは誰にも従わない。たとえあなたがたが戦うことになっても、私たちは必ずあなたがたを助けるだろう」と言っているのを見なかったのか。しかしアッラーは、彼らが嘘をつく者たちでしかないことを証言する。 12 たとえ彼らが放逐されることになっても、彼ら (偽善者) は共に立ち退いたりはしない。また、たとえ彼らが戦うことになっても、彼ら (偽善者) は助けたりはしない。もし彼らが助けるとしても、彼らは必ず (怯えて) 背中を向けて立ち去るだろう。そののち、彼らには何の助けもないだろう。 13 彼らの胸の中では、アッラーよりもあなたがたに対する畏怖の方がより激しい。それは彼らが、何も理解していない民であるため。 14 砦のある町から、あるいは壁の後ろからでもない限り、彼らが一緒になってあなたがたと戦うことは決してない。彼らのあいだでは闘争心も激しく、あなたは彼らが団結していると思うだろう。しかし彼らの心は一致していない。それは彼らが、考えることをしない民であるため。 15 少し以前の者たちと同じようなもので、その者たちも自分の行いの結果を味わうことになった。彼らには、痛烈な懲罰があるだろう。 16 人間に対し「(真理を) 拒め」と言うときの悪魔と同じようなもの。しかし、それで誰かが (真理を) 拒むと、「私は、あなたにはまったく関わりがない。私は諸世界の主たるアッラーが恐ろしい」などと言う。 17 彼らの結末は、両者ともに火獄である。彼らは、永遠にその中に住まうだろう。不正をなす者の報いとはこのようなもの。 18 信じる者たちよ。あなたがたはアッラーを畏れなさい。明日のためにあらかじめ何をしたか、それぞれ考えなさい。そしてアッラーを畏れなさい。アッラーは、あなたがたの行いを熟知している。 19 アッラーを忘れ、そのために自分自身のことも忘れさせられた者のようになってはならない。背く者とは、こうした者のこと。 20 火獄の仲間と楽園の仲間は同じではない。楽園の仲間こそ勝者である。 21 もしわれらがこのクルアーンを山に下していたなら、あなた (ムハンマド) は、それがへりくだり、アッラーを畏怖して崩れ落ちるのを見るだろう。このようにわれらは、諸々の例えを人々に示す。それにより彼らも、深く考えるようになるだろうと。 22 アッラー、その他にいかなる神もない。目には見えないものと、見えるものとを知る御方。慈愛あまねく御方、慈悲深い御方。 23 アッラー、その他にいかなる神もない。王者たる御方、聖なる御方、平安の御方、信仰の御方、守護者たる御方、威力ある御方、圧倒する御方、至高の御方、彼らが同列に連ねるものを超越するアッラーに讃美あれ。 24 アッラー、創造者たる御方、創始者たる御方、造形者たる御方。もっとも美しい御名はすべてこの御方に属する。諸天と大地にあるものは、すべてこの御方を讃美する。もっとも威力ある御方。もっとも賢明な御方。
集合 (放逐) アル=ハシュル の解説と解釈
☪︎ 拒む者をその館から立ち退かせた
マディーナの東側には、ユダヤ人部族ナディールの集落があった。彼らと預言者ムハンマドの間には和平条約が結ばれていた。しかし、彼らはこの条約を何度も破っていた。ついにヒジュラ4年目、全能の神は、彼らがマディーナを去らざるを得ないような状況を作り出された。その後、彼らはカイバルとアズラアトに定住した。しかし、彼らの陰謀活動は続いた。ウマル・ファルクのカリフ時代、彼らや他のユダヤ人部族はアラビア半島を追われた。その後、彼らはシリアに行き、そこに定住した。
☪︎ 椰子の木を切り倒そう
イスラームの法は、正当な理由なく果樹や田畑を伐採したり破壊したりすることを禁じている。戦闘の際の破壊行為はある程度までは容認されうる。とはいえ、あくまでも軍事行動の目的から逸れることのないよう努めなくてはならず、例えば樹木を切り倒すことなどは原則として許されない。こうした法はいずれも神の意志に沿うために解釈されたものであり、ムスリムの遠征は法に従って行われなくてはならない。
☪︎ 裕福な者のあいだだけに行き渡ることのないように
敵が敗北して逃走した場合、その持ち物は戦利品(ghanimah)とみなされる。敵が戦わずに退却することもある。そのような場合、獲得した戦利品は放棄財産(fay’)と表現される。戦利品については、5分の1が抜かれた後、残りの部分はすべて軍の取り分となる。放棄財産の場合、放棄された財産はすべてイスラーム政府に帰属し、公共の利益のために使われる。
富が特定の階級に限定されることなく、あらゆる階級に行き渡ることがイスラームの意図である。イスラム教には、国家が管理する経済という概念はない。しかし、その経済規則は、富が集中することなく、すべての集団に循環し続けるように組み立てられている。
☪︎ 自分の貪欲を自制する者たち、これらの者こそ栄える者
ヒジュラ後、生まれ故郷を離れてマディーナに移住したムスリムたちは、実際にはマディーナの住民「援助者(アンサール)」の重荷となっていた。しかし、援助者たちは移住者(ムハージルン)を心から歓迎した。神の預言者は、何らかの恩恵を受けると、それを移住者たちに分け与えた。にもかかわらず、マディーナのムスリムたちは移民たちに悪意を抱かなかった。最終的には、移住者のイスラームへの奉仕を全面的に認め、心の底から彼らのために祈った。このような広い心こそが、ある集団が歴史の中で名誉ある地位を占めることを保証するのである。
☪︎ 彼らが嘘をつく者たちでしかない
偽善者たちの頭領アブドゥッラー・イブン・ウバイイと、ナディール族との間のやり取りについての言及である。
預言者ムハンマドがナディールの追放を宣言したとき、偽善者たちは表向きにはその味方についた。彼らはナディールに、断固とした態度で臨むよう求め、支持を約束した。しかし、偽善者たちは、ムスリムに対して反旗を翻すように促すためにこのような言葉を発したのであって、決して誠意ある申し出ではなかった。だからムスリムがナディールを包囲しても、誰も助けに来なかった。これはいつの時代も、利己的な人間の性格を表している。
☪︎ アッラーよりもあなたがたに対する畏怖の方がより激しい
偽善者たちは、神よりも、神を信仰する者たちの方を恐れていたが、それは神が彼らに対する懲罰を猶予していたためであった。
神の力は表には見えない。しかし、人間の力ははっきりと目に見える。そのため、見かけだけを気にする人は神を恐れないが、他の人よりも強い人間に出くわすと、その人を怖いと感じる。神に対する意識の欠如は、世界に対する意識の欠如をも生み出す。
ある否定的な目的のために団結する者たちは、長く団結し続けることはできない。なぜなら、長く続く団結の目的のためには、肯定的な基盤が必要であり、それこそ彼らが持っていないものだからである。
☪︎ 悪魔と同じようなもの
マディーナへの移住から二年後、マッカの住民はバドルの戦いにおいてムスリムに敗北した。
ムスリムに対してナディールをけしかけたマディーナの偽善者たちは、ムスリムに対して反旗を翻したクライシュ族とカイヌカ族が完全に敗北したことから何も学んでいなかったことが明らかである。これは、サタンの助言を得る者の常である。まず、彼らは人々に犯罪行為に手を染めるよう促す。その後、その恐ろしい結果が明らかになると、様々な言い訳をして責任を免れようとする。しかし、このような方法で人々を神の支配から救うことはできない。
☪︎ 明日のためにあらかじめ何をしたか
人間の人生は『今日』と『明日』の2つに分かれる。現在の世界は人間の『今日』であり、来世の世界は人間の『明日』である。現世で何をしようと、その後に続く長い人生では基本的なことに向き合わなければならない。
これが真理であり、その別名がイスラームである。人間の成功は、この現実を常に心に留めているかどうかにかかっている。このことを忘れた人の人生は、すべてうまくいかない。この点では、信者も信者でない者も違いはない。信者は現実を認めてこそ有利になる。もしそれを忘れるようになれば、彼らもまた、同じ運命をたどることになる。
ここでの「明日」には、来世の意味もある。現世における一生は、神の御目にはほんの一日かそれよりも短い。現世の一生が終われば、瞬く間に来世にたどり着いている。神に意識を向けることの大切さが、繰り返し強調される。
☪︎ その他にいかなる神もない
クルアーンは、重大な事実を宣言している。それは、人間は自由な存在ではなく、全知全能で全人類の行動を注視している神に対して、自分の行いのすべてに責任を持つということだ。 しかし、人間はあまりにも怠慢で、忘れっぽく、鈍感であるため、この驚くべき事実を知っても動じない。
ここで言及されている神の名は、ある意味では神の存在の紹介である。つまり、人間の創造主であり、人間を常に見守っている神の存在がいかに偉大であるかを示している。このことを実際に理解すれば、神を思い起こし、賛美することに没頭するだろう。宇宙は、その創造的な意味によって、神の特質を映し出している。それ自体が神の賛美を歌うことに完全に取り込まれており、人間もそれにならうよう促しているのだ。
末尾三節について、預言者は次のように語ったと伝えられている。「誰であれ『すべてを聴く御方、すべてを知る御方にシャイターンからの加護を乞う』と三度唱えた後で、この三つの節を朝に朗読する者があれば、神は七万の天使たちに、その日は一日中、その者に赦しがあるよう祈らせる。もしもその日、その者が命を落とすことがあれば、その死は殉教者の死としてみなされる。この三つの節を、夜のうちに朗読したとしても同様である」。
THE MOBILIZATION (al-Hashr)【英語訳】
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参考図書: