アル=マリク
ٱلْمَلِكُ
AL-MALIK
マーリク=ル・ムルキ
مَالِكُ ٱلْمُلْكُ
MAALIK-UL-MULK
“真の王”:全ての被造物を所有される御方。「(المالكアル=マーリク)」“全ての所有者”:全ての王国と王としもべを所有される御方。「(المليكアル=マリーク)」“王権の支配者”:その王国において全ての命令を執行される御方。その御手にこそ王権があり、お望みの者に王権を授け、お望みの者からそれを剥奪される御方。
マーリク Maalik or マリク Malik?
マリク MALIK は王を意味する。王権(主権、権威、支配、統治、審判)はアッラーだけに属するものであり、アッラーが創造したものには属さない。ここ物理的な世では、アッラーの奴隷たちが地上の王となるために戦い、権力と支配権をめぐって互いに競い合っている。
審判の日、現実には自分たちは無力であり、偉大さ、権力、権威はすべてアッラーだけに属していることを確実に知ることになる。
マーリク MAALIK とは所有者を意味する。すべてはアッラーのものである。あなたの心、体、富、家、時間、車、食べもの、忠実さ、それらも全てアッラーに属している。アッラーはその強大な玉座の所有者であり、原子とそれよりも小さなものの所有者である。
マリク MALIK は本質の属性を指し、マーリク MAALIK は行動の属性を指す。
審判の日に関して言えば、すべては神のものであり、他の誰のものでもない。この世のように、誰も意見を言うことも、裁定を下すこともできなくなる。
アッラーがアル=マリクそしてアル=マーリクであることを知る
アッラーの創造物は全て、アッラーのママリーク Mamaaleek(アッラーに仕える者)であると考えるべきである。わたしたちがすべてアッラーに仕える者であるならば、わたしたちが所有しているものはすべて、わたしたちのものではなく、むしろアッラーのものであるということになる。
ここには、アッラーの驚くべき寛大さがあらわれている。アッラーは、施しをする者に報いられる。たとえ、施しをする者の財産がアッラーのものであったとしてもである。
だから、わたしたちが施しをする時、自分のものを施したかのように感じてはならない。それでも、アッラーは、その寛大さと慈悲から、あなたに報い、その行いをあなたに帰するのである。
恩恵
アル=マリク ファジュルの祈りの後にこの名前を唱えると、金持ちになるだろう。
マーリク=ル・ムルキ この名前を唱えると、人々から尊敬されるようになるだろう。
王さま
ガザーリーによれば、アル=マリク(王)は、その本質と属性において、いかなる存在するものも必要としないお方である。ところが、存在するすべてのものは彼を必要とする。
本質であれ、属性であれ、存在であれ、存続であれ、何事に関しても、彼を無視できるものは何一つ存在しない。むしろ、それぞれの物の存在は、彼に由来するか、彼に由来する何かに由来する。存在するすべてのものは彼を必要とする。
彼以外のすべてのものは、その本質と属性において彼に従う一方で、彼はすべてのものから独立している。
神の創造物であるものを絶対的な王として考えることはできない。実際、創造物は常にいと高き神に対して助けを必要としており、すべてのものを捨て去ることができたとしても、神だけはそうはできないだろう。
また、あるものから解放される一方で、他のものから必要とされることが可能な限りにおいて、人は王者であることを味わうことができる。
人々の中の王とは、いと高き神以外には誰にも支配されない者であり、偉大で栄光ある神以外には何も必要としない者のことである。その王は兵士と臣下が従順である限り、その王国を支配する。もし王が民に従わず支配し、民が王を支配せず従うなら、この世の王のレベルに達するだろう。
そして、その王が誰一人として頼ることなく、すべての人々が現在と将来の生活のために王を必要としているなら、その王は地上の王となるだろう。
これが預言者たちのレベルである。彼らすべてに神の祝福がありますように。彼らは、偉大で栄光ある神以外の誰からも来世への導きを必要としない。
絶対的な主権を持つ王
ガザーリーによれば、マーリク=ル・ムルキとは、自分の王国において、望むことを、望む方法で、望むように、生じさせ、破壊し、永続させ、消滅させることができるお方である。アル=ムルクは “王国 “を意味し、アル=マリクは完全な力を持つ強力な者を意味する。
存在するすべてのものは一つの王国を形成しており、主はその王であり、権力を握っておられる。存在するものすべてがひとつの王国を形成しているのは、それらが互いにつながっているからにほかならない。これは人間の体によく似ていて、人間の本質を表す王国のようなものだ。
多くの異なるメンバーが、いわば協力し合って、一人の管理者の目標に取り組み、一つの王国を形成しているのである。
そうすることで、世界全体が一人の人間のようになり、世界の各部分がそのメンバーのように、ひとつの目標に向かって協力し、神の寛大さが必要であり、そしてその存在は善を可能な限り最高に実現したものである。その要素は整然と並べられ、ひとつの絆で結ばれているからこそ、いと高き神を唯一の王とするひとつの王国を形成しているのである。
ひとりひとりの人間の王国は、自分の肉体である。 なぜなら、人の心の特質と手足の特質において、自分の望むことが成し遂げられるなら、人は与えられた力の尺度に従って、自分自身の王国の王となるからである。